ありがとう

lotus55

2006年09月16日 23:59


2005年9月16日

1年前、てぃーだブログで私の日記ブログがスタートしました。

密かにスタートさせて、本当に引越しするとこまで書けたらいいな、と思い、
引越しもして、1月から三線の稽古も始まって舞台にちょっと出させてもらったり、
仕事もやっとこスタートさせたり、そしていろんな出会いがありました。

今では東京も沖縄にも会いたい人が同じくらいの人数がいます。
どっちに「帰っても」OKなんだな、と先日の帰省で思いました。

実は、本当はここまできたら10000アクセスまで頑張ろうと思ったのですが、
突然ですが、本日これにて、てぃーだブログを終了したいと思います。

最後にまだCDは完成していないけど、ちょっと紹介させてください。
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『 扉 』~I wanna be free~ 

扉 扉 扉 扉をひとつ閉めたら
次の 次の 扉が開くよと
 (抜粋)
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数ヶ月前に書いたのに、今、この言葉を噛み締めています。

いろんな意味をこめて書きましたが、「言葉」や「想い」は発してから効力が出てくるようです。

人はちょっとした事で誤解が生じる瞬間があります。

うまく伝わらなかったり、言葉が足りなかったり。

一人では生きていけないから、他人や家族と接して切磋琢磨することで、
いろんなものを感じ、学んでいきます。

私は身近なところで長いこと「言葉が足りないなぁ」と思う事が過去に沢山あり、
それによってボタンの掛け違いがある事を、まざまざと見てきました。

そうなりたくない、そうしたくないがために人と争うことを極力しなかったけど、
ある時友達が「もう、我慢するのはやめた」という発言を聞いて、
「あぁ、言いたいことは言おう」と思うようになりました。

だけど、人を傷つけるような言い方をして混乱させることはしたくない。

言い方で人は納得したり、腹を立てたりします。

ものごとは反面教師であり、言われたことに対して
「ああ、そうだな」と思う事も学びだと思うのです。

それを受け入れるか受けいれないか。

私はどんな人でも会ったら挨拶をします。
もちろん100人会ったら全員100人OKということはないかもしれません。

だけど人によって、その人の考えで受け入れない人は目も合わないでしょう。

それでも懲りずにまた私は会ったら挨拶します。

そして、挨拶されなくても私はその人を許します。

なぜなら自分が腹を立てず許す事で、自分の感情をアップダウンさせないという
トレーニングになるからです。

私はカンペキな人間じゃない。
キレイごとばっかり言ってもいられない。

今年、沖縄で生活してから、これまでの殻が破れ、蓋をしてきた感情が解け始めたところでした。
少し調子にのって走りすぎていたところにブレーキがかかりましたが、
それもひとつ扉を閉めて、次に動き出すステップだったと思います。

人間がその時々に出会う人は自分のレベル
(という言葉は好きじゃないけど、他に言葉が見つかりません)に近い人です。

もうひとつ、『御願月夜(うがんづきよ)』も紹介しておきます。
(私の書いた詞だからいいよね^^)

これは前にも書いたけど、よしもとばななさんの小説の中に
「心の中にある御願所に向かって ひっそり祈った」という言葉に共感して、
ある夜、沖縄の月夜を見上げてできた歌です。

三線の音色です。

ライセンス登録しようと思ってるので
いつかどこかでこのタイトル見たらリクエストでもして下さい(笑
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『御願月夜』

夜の空 見上げ ぐるりと見渡し
月を探したら 少しだけ 見えた

ひとりで見る月 誰かも見てるかと
思えばぐるりと 空は続いてる

手をのばしても 届かない月
つかめぬものは 心の中に

あることに気づき もう一度
見上げたら 雲が流れ出し

満月が見えた
満月が見えた

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長文になりました。

今日まで読んでくれた皆様、メールをくれた皆様、
コメントくれた皆様、どうもありがとうございました。

またどこかでお目にかかる日があるかもしれません。

宮古島で天から降ってきたメッセージ
「いつも穏やかであれ」「いつも明るくいなさい」

いつもそうでいるべきためにはまだ遠い道のりですが、

私の本名は「陽子」
太陽の子供。

縁、あって、沖縄に住んでいます。

沖縄に多謝。

すべての人に幸、あれ。

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